秋田県秋田市添川湯沢台1

新しいお知らせ

2020年09月24日
聖堂と庭園の閉鎖について
新型コロナウイルスの感染拡大により、聖堂、庭園を含む聖体奉仕会修道院の敷地は、2021年3月末日まで閉鎖しております。
巡礼であっても観光であっても、入場はどうぞご遠慮くださいませ。
2021年4月以降につきましては次回のお知らせをお待ちください。
ご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

巡礼に関するお知らせとお願い

「FAX・ハガキご利用のお願い」
電話を担当するシスター不在の場合が多いため、ご不自由をおかけすることがあります。大切なご用件は「FAX またはハガキで」ご連絡ください。

聖体奉仕会について

聖体奉仕会は、1970 年(昭和 45 年)、新潟教区長 使徒ヨハネ伊藤庄治郎司教によって設立されたカトリックの女子奉献生活者の小さな会です。会員は「従順・貞潔・清貧」の誓願をたて、イ エス・キリストと聖母マリアの生涯に倣い、一生を神と人びとへの奉仕のためにささげます。

聖体奉仕会には、秋田市湯沢台の本部修道院で祈りを中心とし た共同生活を送る本部会員と、修道院外で生活しながら社会で福音宣教に従事する院外会員があります。 カトリック教会の中心である「聖体」に現存するイエスへの奉仕を目的とし、新潟教区長の指導のもと、「われ渇く」(ヨハネ 19・28)と叫ぶ主イエス・キリストの聖心に生活のあらゆる場面でこたえることが会の精神と使命です。

司教メッセージ

聖体奉仕会修道院は秋田市添川の丘の上の、とても美しい自然に囲まれた場所にあります。

神が創られた自然の素晴らしさ、落ち着いた雰囲気の純和風の聖堂、そしてシスターたちの祈りと奉仕の心。ここは、忙しい毎日の生活や喧噪を離れ、静かで聖なる雰囲気に心をまかせることができる、祈りの場です。

私たちキリスト者にとって、日々の生活の基礎は祈りですが、それは教会共同体にとっても同じです。いつもシスターたちが祈っている。そこに行って共に祈れる。聖体奉仕会という、祈りの共同体、祈りの場が新潟教区に与えられているのは大変有り難いことです。

聖体奉仕会に安置される聖母像から涙が流れたという奇跡的な出来事があってから、教区内外、さらに世界の様々な国から多くの巡礼者が集うようになりました。涙を目にした人、また訪れて祈る人々は、聖母マリアの模範に倣って自らの生き方を振り返り、信仰を深め、勇気づけられて日々の生活に戻っていきます。

ぜひこれからも多くの方々が聖体奉仕会を訪問し、祈りを共にしてくださいますように。また、聖体奉仕会における修道生活を通してこの重要な福音のための任務を共に担って下さる方が来て下さる事を願っています。

カトリック新潟教区司教 パウロ成井大介
カトリック新潟教区司教
パウロ成井大介

聖体奉仕会の祈り

御聖体のうちにまことにおられるイエスの聖心みこころよ、
一瞬の休みもなく全世界の祭壇の上にいけにえとなられ、
御父おんちちを賛美し、み国が来ますようにとこい願う
至聖なる聖心みこころに心を合わせ、
身も心もまったくあなたにお捧げいたします。
この貧しい捧げを受け取り、
御父おんちちの光栄と霊魂の救いのために、
み旨のままにお使いくださいますように。
幸いな御母おんははよ、
あなたの御子おんこより引き離されることのないよう、
あなたのものとしてお守りください。

アーメン。

聖堂について

聖体奉仕会聖堂は浦野堂宮工芸(群馬県高崎市)の宮大工によって建てられた入母屋重層造りの純日本風建築です。「カトリック が日本の精神風土に根づきますように」との願いを込めて、日本の伝統的な社寺建築が用いられました。

土台から始めて7年をかけ、2002年5月1日に完成し「救い主の母」にささげられました。聖堂内の左回廊には秋田の聖母像が、 右回廊には聖ヨゼフ像が安置されています。

マリア庭園

マリア庭園は、聖母にささげる日本庭園として造られた祈りの苑です。1974 年昭 49 年)春より造園作業を開始、1976年(昭和 51年)10 月 11 日に開園となりました。各地からのご献木を活かしつ つ完成した素人手づくりの回遊式庭園です。

小羊の苑

小羊の苑も、祈りと黙想の庭として造られました。苑の中央には、イエス・キリストのご受難(死刑の宣告から十字架上の死)を偲 んでたどる「十字架の道行き」があります。この庭園は 1994年8月18日、新潟教区長 フランシスコ佐藤敬一司教により祝別されました。

秋田の聖母像について

秋田の聖母像は「すべての民の御母」と呼ばれる聖母の御絵をもとに、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏によって1963年に製作されました。「すべ ての民の御母」はオランダのアムステルダムで1945年から1959年にイダ・ペアデマンという女性に出現された聖母です。

1975年1月4日の朝、この聖母像から涙が流れるという出来事がはじまりました。「落涙」はこの日から連日繰り返されたり日数を置いたりしながら、1981年の9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回続きました。

涙が流れるたびに姉妹たちはそれぞれの作業の手を休めてご像の前に集まり、一緒にロザリオの祈りを一環捧げ、最後に司祭が涙を拭き取るのが常でした。涙をぬぐった脱脂綿は後に秋田大学と岐阜大学の法医学教室で鑑定を受け「ヒト体液」と判定されました。